平潟・九面<国道6号茨城・福島県境>

県境へと至る切り通し

国道6号の茨城・福島県境は、奥州三関の一つである「勿来の関」の近傍に位置します。勿来は「なこそ」と読むのですが、これは「来るなかれ」という意味で、蝦夷の南下を防ぐという関所の役割がそのまま地名になっています。
茨城側の県境集落である平潟は、アンコウのどぶ汁で有名な港町。江戸時代は棚倉藩領で、棚倉城下から平潟港へと続く街道は、現在の茨城・福島県道27号塙大津港線として整備されています。
県境周辺は断崖が続く天然要害で、“境界”の雰囲気を醸しています。この周辺のかつての街道往来は、1774年に平潟洞門が開通するまでは牛馬の往来が困難なほどの急坂の道でした。この洞門は、昭和期の拡張とともに取り壊されて切り通しとなり、現在は平潟-九面を結ぶ市道として生活道路と化しています。
現在の国道6号は、この洞門跡からもう少し内陸に入ったところに、昭和33年開通の「平潟トンネル」で県境をパスしています。

 
▲平潟トンネル、昭和33年3月竣功。トンネルの中央で県境を跨ぎます。歩道がなく、かつ路肩もほとんどないので、自転車歩行者は結構恐ろしい道になっています。


▲平潟トンネルの茨城側坑口。「道路情報」の管理境界看板は、なんとなく、いよいよ福島県内に入る、という気持ちにさせてくれます。

 
▲出口の風景。水戸までは66km。福島県内とは打って変わって茨城県内は基本的に流れが悪い道になります。

 
▲一方、福島側出口の風景。東京から174km。

 
▲福島側の県境集落・九面(ここづら)。勿来漁港を抱える港町です。


▲九面にある平潟入口バス停はなんと朝の1本だけ。勿来駅とを結んでいます。


▲かつての街道往来。県境の切り通し。かつてはトンネル状でしたが、昭和期の拡幅とともに切り通しとなりました。


▲周囲を見渡していたらやはりありました、県堺標。この道がかつて重要な往来であったことを証明してくれます。

 
▲平潟洞門の碑。洞門開通はこの街道の利便性を飛躍的に向上させたということで、記念碑が建てられています。この石碑自体も1778年建立ということで、非常に歴史あるものです。


▲切り通しを抜け、坂を下ると平潟港にたどり着きます。東廻海運の寄港地とともに棚倉藩の外港の役割も持っていたこの港は、江戸期は大いに賑わっていたそうです。

 
 
▲県境から少し北方に行ったところには「勿来の関公園」があり、市民の憩いの場となっています。

取材時期 2015年1月

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